絵にかかわらずいろいろなことを書いていく。

22 Mar 2013 (Fri) test

tes

01 Mar 2013 (Fri)

迷惑をかけるな と、ずっといわれてきた。
いったいどれだけ多くの人が、このことを正しいと思い、
どれだけ多くの子供たちが、このことを正しいと教わっていくのだろうか?


このことは、本当に正しいのだろうか?
実際は、迷惑をどんなにかけないようにしても、かけてしまうし、
迷惑をどれだけかけないようにしても、迷惑をかけられるのだ
迷惑をかけないように なんて生きれるわけがない

誰かと関わって生きていくというのは、
誰かに迷惑をかけ、迷惑をかけられながら生きていくということだ

迷惑をかけないように
そういわれて育ってきた人は、どうコミュニケーションをとればいいのか?


迷惑をかけなければ、何をやってもいいというのもそうだ
独りよがりになるだけだ
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どれだけ自分ががんばろうと
迷惑をかけないように生きようと
人は人に関わろうとするし
人は人に関わらないと生きて行けない世の中だし
たくさんの迷惑をかけられながら生きていかなきゃいけない
自分だけが迷惑をかけないように生きようとしたって
自分でほかの人の迷惑をすべて受け止められればいいけど
そんなみんなの掃き溜めみたいな人生もいやだし
聖人のように世の中の不幸を全部受け止めて
世の中の総幸福数をふやせられればいいけど
本当は、その幸福の分だけ超極大な不幸があるだけだ

誰かに迷惑をかけないように という気持ち
意識
それを もういちど取っ払わないといけない
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迷惑をかけないように という意識は、
自分を包み隠し、
相手の意向を汲み取るように意識を働かせる

自分らしく生きたい
そういうのはたぶん、今までの人生の裏返しかもしれない

自分探し を 誰にも迷惑をかけないように
やろうということ自体、あほみたいなもんかもしれない

ぶつけること、ぶつかること
怖がっている かもしれない
でも
やっぱり、
嫌がることをしない
迷惑をかけない
これらを、極力避けるように教育され、
それを素直に聞いてきた人間ほど、
抑圧されてきたという現状があると思われる

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人間が人間と関わりあうということは、
迷惑をかけ、迷惑をかけられるということで、
いやな思いをして、いやな思いをさせているということで、
良い思いだけをするように、なんてムシのいいこと
本当は誰かが、自分を押し殺して、
見せ掛けの最大幸福を作り出しているだけだと

いやな気持ちにさせるやつとも一緒にいなきゃいけないし
でもそんなやつでも、いいところだってあるし



だから、子供には「いいこになること」を強要したくない
めいっぱい悪い子でも良いと思う

でもその代わり、きちんとコミュニケーションをとることだけは、徹底したい

26 Feb 2013 (Tue)

可視光と呼ばれる、一般的に紫外線<可視光<赤外線の関係にある波長の光は、人間にとって の可視であり、他の動物ではおそらく異なる。
赤い光は多くの動物では認識できないから、夜撮影する場合は赤い光を照射すると聞くわけで、人間には地格できない光を感知している動物もいるはずだ。

光は波長で、物質の側面もあるが、それはそれとして、
波長であると言うことは、ソレが知覚できない限りにおいて、そこには何も存在していないような感覚になる。
そうすると、本当は何かしらの波長を発しているのにもかかわらず、我々には何も知覚できないという現象がおきる。

波長は、信号であるから、
ソレを受信することができれば、何かがわかるかもしれない

16 Feb 2013 (Sat) 波動と周波数

宇宙を、ひとつの波動周期と考える。
基点があり、0の地平があり、
物質と反物質の周期をいったりきたりする。

すると、宇宙は現在、物質周期の拡大路線を歩んでいるということになる。いつかその最頂点に達したら、縮小周期にはいるのだろうか?


人間の人生をひとつの波長、周波数を生きるものだとしたら、その人の持つ波長や周波数によって、いわゆるオーラの色が違うというのも納得できる。

さまざまな人生をたくさん集めていくと、最終的にそれは白であり、光そのものになる。

もともと、人間は理解できる周波数が決まっているし、そもそも物質としての存在であるという限界があるが、物質から離れたら、その周波数理解が拡大するから、おそらく、光に近いものを、現在の近くとは違った形で理解できるようになる。


宇宙およびすべての存在は、「波動」によって成り立っていて、存在するすべては、その周波数の違いであって、無数に存在する波動の壮大なフラクタルである。

16 Feb 2013 (Sat)

雑多メモ転記

エントロピーと「ゆらぎ」の関係

エネルギーは充満しているのに、変化が起きなくなるポイント→宇宙の熱的死

これは、ずっとエントロピーが高くなって起きるという話ではなく、おそらくある時点でいきなり起きる可能性が高いと思われる。エントrピーが増大しているときは、むしろ起きないと思われる。なぜなら、エネルギーの平衡化はエントロピーが高ければおきないと思われるからだ。

エントロピー0のときに自己組織化が起きると思われる。
→神の出現と歴史の終わり


拡大宇宙はエントロピーを増大させるが、同時にエントロピーを低下させてもいる。
→同じ状態で時間のみが経過すると、エントロピーは低下する


1cm四方に1滴のインクをたらすのと、1km四方に1滴のインクをたらすのでは、どちらがエントロピーが増加するのか?
宇宙は臨界に向かっている→拡大<内的生成(エネルギーの物的・熱的変化)
=ビッグリップ
>限りなく

ただし平衡化がおきないまま内的生成が終わるとどうなるか?
→拡大のみになる→これも一種の死か?

☆時間が閉じている場合は?
宇宙が縮小に向かうことは、どの時点度起きるのか?


エントロピーは、「はじめの状態」を常にその基点におく。そこにこの理論の限界があると思われる。

無秩序になるというのが無秩序におきる
→エネルギーが0(動かない)ではない
→自己組織化がおきる
→ランダムに近づいたものが組織化される
→エントロピー0ではない

エントロピーは、
AからBに熱が移動するとき、Bに変化が起きるが、その変化の度合いを指している
エントロピーが∞のような状況は、ものすごく乱雑な状態、つまり無秩序な状態なのか?
→分子の存在する場所の「不確定さ」が増すということ。

熱的死
エントロピー極大化→全エネルギーが均等に分布するという状態
→エントロピーの高い状態とはどういう状態なのか?均等なのにエントロピーが高いというのは何か?

時間とともに、エントロピーは低下すると思われるがいかに?


意味論への展開
エントロピーが低下すると、乱雑さが秩序を持つようになる。するとそこに「意味」の定化がおきる。
→無秩序から秩序が生み出される。
→それを芸術というように解釈する向きもあるようだ

意味が定化するということ。
それは情報量の問題ではない。

変化自体はエントロピーを増大さえるが、
その後それが経過に関係なくそのままでい続けることはない。

03 Feb 2013 (Sun) ブルデューさんはもうお亡くなりになっていた件

ブルデュー 「メディア批判」 2000年


視聴率という圧力によりジャーナリズムが恣意性を持った報道をする。
その力が大きければ大きいほど、当たり前なものとなる。


テレビに出ることは、テレビに使われると言う意味がある。
つまり自分の言いたいことを言う場ではない。


映像の持つ政治性を忘れられがちで、ミスリードを誘い、
見えるものによって見なければならないものを隠す。
個人を糾弾することで構造批判を避けさせる。


テレビが大きくなりすぎて、今まで他メディアで生きてきた人が、
テレビに媚を売るようになった。
「象徴暴力」行使者、飛行支社がソレを意識しないで行われる権力行使。


ジャーナリズムは根本的に画一的になっている。
競争することによる画一化、1つの発言が何度も繰り返し使われる。
(報道しないことのリスク。報道内容は同一というなかで、
 ほんの少しの差別化を志向する)
メディア、販売として成功するために、他者と同じことをする。
そしてその中で小さな差異を求めて頑張る。
しかしソレは受け手にはあまりわからない。
情報の一時提供者によって、そもそもの情報が制御されているが、
メディアは、情報ソースが現実の事象ではなく、一次ソースになりがちなので、
そもそもその時点で情報が制御されている。

情報 → メディア → 視聴者 
      ↑↓
     メディア(再生産)



「見られること」「認知されること」がもつ力がますます大きくなっている。
本質的に、今も昔も現実の量は大きく変わらないにもかかわらず、爆発的に増える
情報の中で以下に影響力を持つか。
ソレは認知されることである。
知られているのと、知られていないでは、天地の差がある。

メディアは、情報の媒介であるため、認知されることが目的である。
ジャーナリズム とは、そもそもがその目的を異にしているのではないか?


「時間がない人のための」専門家の発言は専門かも塾こうしておらず、
紋切り型で万人に受け入れられる考え方になっている。
そのため授受について思慮する必要がない。
そうして、メディアは都合の良い「いつもの」を多用することになる。


メディアはしばしば、様々な対立や批判などをでっち上げる。
本当は仲が良いのに、露出している時は対立しているようにみせかける。
平等な判断をするべき司会者が、不平等を作っている。
見ている側は、「平等であるはず」という信頼によって隠されている。
発言しなければならない人こそが発言しにくい状況にある。
平等 という場を作ることで、提供された場で発言できないことが、
発言がないことのようにされてしまう。

見えるものは、選ばれたものであるのに、
選ばれなかったことを指摘する人はいない。
選ばれてそこにいる人たちが全てだと思う。

驚くべきことに驚き、驚かなくていいことに驚かないように
しなければならない。

万人受けしようとすればするほど、内容は総花的になる。
対立とかそういった尖ったものが無くなる。
誰もがそういうものを診たいと思っているわけではないのにそうなる。
最小公倍数

思想などの公共空間へのアクセスをメディアが独占している。
ゆえにジャーナリズムは重用されている。
ジャーナリズムによる検閲 メディアの検閲

市場シェアという競争のために、雑記事になる。
大衆迎合する。うわさとかそういうのを集めるようになり、
言論に特別な能力が要らなくなる。

センセーショナルで商業的な成功のために原始的な欲求、熱狂が利用される。

ファシズムなども、この原始的な欲求や熱狂を利用してきた。
ゆえに、この熱狂を抑制し、人間が自由であろうとする活動が、
民主主義である、といえるのかもしれない。

生き残るために、メディアは自分たちの位置を再選択して生きていく。
ジャーナリズムは商業的な視聴率の影響を強く受けている。
社会学者は個人ではなく構造を批判しなければならないのに。

科学は、「メカニズム」を問題とする。
明らかではないことを明らかにすることで、ソレの影響を受ける人たちを
客観化し、自由にさせる。
「モラルと言うものは、人々がモラルに利害関心を持たせるようにする
メカニズム、つまり構造に支えられるのでなければ有効ではありません」94p

商業 → メディア → 文化生産(界による自立)

メディアが用意した知識人
VS             ↑↓資本の差
自立した界の知識人



自立的で「なければならない」のはなぜか?
純粋である と言うことが必要なのはなぜか。
同じ土俵で対峙するということの重要さ。

自分の生産物がどこを対象としているのかによっても迎合度合いは違う。

「他律的知識人と戦うことが不可欠であると私が考えるのは、
彼らがトロイの木馬だから、つまり彼らを通じて界に他律性すなわち
商売、経済の法則が入り込むからです」112P


原始的な欲求や一時的な熱狂による行動は、なぜ批判されるのか?
自由ではないから?民主主義ではないから。
冷静な判断によって形成された集団と結果的に同じことを言っていたら?
→結果ではなくプロセスである。
「集団的な熱情」はナチズムのように思われる空批判されているかもしれない。

「あらゆる法の論理さらにはあらゆる政治の論理が構築されるために
抵抗しなければならなかった復習の論理が復活してしまうのです」114P

テレビと言うメディアはそれに「使われる」ことによって
テレビから学者という聖別を与えられ、あたかもその界に入れるようになる。
→入場権利の引き下げ

視聴率計算VS民主主義

自立性を守るために、界の境界を明確にするか、
積極的に外に出て行くという方策がとられる。

「情報を普及する手段の独占に異議を申し立てること、
そして文化的生産者と大多数の消費者の間に割って入る手段を持った人々が
商業主義的なデマゴギーによって作り上げている最大多数者の期待という
表象に異議を申し立てることが、最も進んだ科学的なあるいは
芸術的な探求の最も希少な成果の普及を目指したあらゆる行動の前提となる
ということを明確に理解することが必要である」135P

   市場
 ↓    ↓
ジャーナル 政治



政治家がだめになったのではなくて、ジャーナリズムがダメにしてしまった。
1視聴率主義
2時間が無いから脱歴史化
3断片化によって遠くの世界に見え、脱政治化する
146-158p

ブルデューがインターネットについてどう思うのか気になる。。。

14 Jan 2013 (Mon)

自分の生きた証

それを作ることと、受け入れてもらうこと

不器用に生きてきた人
それをやらずに生きてきた人
気づいたら、何も残っていなかったきがする人

誰しもが持っているのは、
死と向き合った時に感じる、自分の生と死の意味
死ねば皆等しくなくなるとした時、
自分がこの世界にしがみつくことはできない
だから何かを残したがる。

13 Jan 2013 (Sun)

正義は悪を正し、悪は正義を駆逐する

アンパンマンは、バイキンマンがいなくなることではなく、心を入れ替えてみんなを困らせなければと思うが、バイキンマンはアンパンマンを倒してばい菌王国を作ろうとする

そう考えると、正義のための戦争って、何だろう?
正義と言うなのもとに、悪を断罪し、滅ぼすことは、正義なのか?

30 Dec 2012 (Sun)

個人一人一人は、それぞれが1本の軸である。

そして、たとえば資本主義のレイヤーでは、
その立場は賛成か反対か、一定の立ち居地になる。
同じように、共産主義でも、
立場が賛成か反対か、どのくらいか、というように、
実際のところ、資本主義と共産主義が同一レイヤではないということである。

つまり、資本主義でもあり、共産主義でもあると言うあり方が、存在すると言うことだ。

同一軸による対立というのは、
ある事柄に対して、○か×かということであり、
主義の違いがそのまま対立に結びつくわけではない。

29 Dec 2012 (Sat) 農家と言うのは

農協は、農家がお金を出し合って(出資して)設立された協同組合です。従って、農家の人が株主であり、農家の人から理事(経営者)が選ばれます(選挙で。3分の2以上だったかな?)。

また、農家の人は農協に「加入・脱退」は自由です。自らの経営にメリットがあると思えば加入すれば良いし、出資するだけのメリットが無ければ加入しない(又は脱退する)ことになりますね。

ちなみに、脱退するときは出資金は全額返還されます。また、出資の額は最高額が制限されている場合が多く、さらに、出資の額で経営権を握ることができません。総会では加入者1人につき1票です。(株式会社と違う点ですね。)

農家の人は農協から生産資材を購入します。例えば肥料や農薬、種苗や苗などですね。農業機械や飼料などなんでも扱っています。店舗では普通のスーパーと同様の生活用品も取り揃えています。

また、農協は農家の人が生産したコメや野菜、畜産物などを集荷して、市場や商社などに販売します。

農家の人は、農協から資材を購入し、生産物を農協に売る(ために)農協に加入しています。もちろん一般の商店から資材を購入し、生産物を自ら直売してもかまいません。そういった人は農協を必要としませんから、農協には加入しません。

農家と農協は基本的には対等な関係です。農家の人が必要であるから農協が存在するのであって、「農協のために・・・」というような考え方はあり得ません。



→生産物の買い取り価格は、本来的には生産者が決めていいこと(自由業だから)

補助金とは別ということ。

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